masa.fit blog

人間の体について書いていきます。

追い込む の定義について

最近、『追い込む』という言葉をよく目にします(今に始まったことではないと思いますが)

 

今回は、私の考える「追い込む」の定義について書いていきます。

 

追い込むとは、読んで字のごとく

「限界ギリギリまで出し切ること」

こんな感じのニュアンスだと思いますが、ここに関しては大きな差はないでしょう。

 

そもそも、この言葉が出てくるのはスポーツ全般で、古くからの根性論よりも最新の科学的根拠に基づいたトレーニング方法が、結果に結びつくという考えが背景にあるのでしょう。

 

たしかに、スポーツ先進国のアメリカをはじめ様々な技術の発展と実験で、トレーニングの効果というものは数値としてはっきり出ています。

 

気合いや根性といった曖昧な要素よりも、確実な根拠となるのは間違いないと私も考えます。

 

しかし、それならスポーツにおいて気合いや根性は必要無いか。

と問われると、答えはNOです。

 

もちろん、それだけではどうにもならない部分もありますが、最後の最後に勝負の決め手のなるのは気持ちの部分だと私は思います。

 

前置きが長くなってしまいましたが、私の考える「追い込む」の定義とは

 

無酸素運動有酸素運動で意味が変わる』

 

なんだか都合のいい解釈のように思われるかもしれませんが、大学で4年間トライアスロンという競技をやっていた私は、トレーニーたちの言う「追い込む」という言葉の意味に若干の違和感を覚えます。

 

先に結論から申し上げると、

無酸素運動における追い込むとは

『集中力の質』

有酸素運動における追い込むとは

『気合いと根性』

 

どういうことかと言いますと、まずこの言葉を見かける時は要約すると

 

疲労やその他の要素を考慮しすぎて、トレーニングの質そのものが落ちている」

「とにかく限界ギリギリまで攻めることで筋肉は発達する」

 

みたいな意味合いのものが多いのではないかと感じます。

筋トレで言うなら、科学的根拠も大事だけどとりあえず限界ギリギリの重量とレップ数攻めろ。

みたいな感じです。

 

たしかに、その通りだと思います。

色々な情報が飛び交う中で、それらを駆使すれば最短で成果を得られると考え、基本的なトレーニングの原則を疎かにしている場合というのは少なくないと思います。

 

ただ、じゃあ限界ギリギリまで攻め続けろ。というのも違うと思います。

怪我の恐れやオーバートレーニングに繋がるというのもまた事実です。

 

先程の「追い込む」の意味合いの違いについて説明していきたいと思います。

まず、無酸素運動とは筋トレや陸上の100m走など、競技時間が短いものを指します。

 

例えば、早く走るために必要なことはなんだと思いますか?

 

歯を食いしばって力一杯走り抜くことでしょうか。

 

違います

 

短距離走で大事なのは、体を上手く使ってエネルギーを無駄なく力として伝えることです。

当然、息は切れ筋肉は疲労しますが、その中でフォームを維持することが重要だと考えます。

(実際に短距離走の選手としての経験はないのでここの解釈が誤っている場合がございます)

 

つまり、どれだけ高い集中力を保てるか。

苦しくて自分に負けるというよりは、集中力が切れてフォームを維持できなかったり、力を緩めてしまうといったところです。

 

スクワットやベンチプレスなんかでも、MAX重量で1度止まってしまうとどうにもなりませんよね。

 

そもそも、人間の体では全力運動は精々5秒ほどが限界で、どんなにメンタルが強くてもパフォーマンスというのは確実に落ちます。

 

対して、有酸素運動(マラソンなど競技時間が長いもの)でも息は切れ、筋肉は疲労します。

しかし、無酸素運動との明らかな違いは

「ATPの再合成が間に合う」

ということです。

 

つまり、エネルギーは消費され徐々に無くなっていきますが、無くなる前に新たにエネルギーを作り出しているということです。

 

トライアスロンのアイアンマンディスタンスという競技では、

スイム(3.8km)→バイク(180km)→ラン(42.195km」で約226km走り続けます。

世界記録でも7時間40程かかります。

1番早い人でも7時間40分間動き続けているということです。1秒たりとも休みません。

 

それだけの時間を動き続けることが可能だということです。

当然、苦しいでしょうし今にも足を止めたいと思っても、実際は体を動かせるだけのエネルギーはあるということです。

 

私は練習では、毎回「シャトルラン」をやっている気分でした。

最初はついていけるが、徐々にキツくなり、最終的にはどこまでついていけるか、ただひたすら自分と闘う。といった感じです。

(この練習方法はそれはそれで問題点もあるのですが、、、)

 

たしかに、トレーニングの内容やその他の要素も大切ですが、「折れない心」あって成り立つものです。

 

余談ですが、無意識に全力運動ができる人というのは無酸素運動に向いていると思います。

全速で走るためには、どの程度力を込めてやればいいのかが感覚的に分かっている人のことです。

ただ、がむしゃらに体を動かしても却ってスピードは落ちるだけでしょう。

 

対して、有酸素運動は長時間同じことを続けられる人。

私はフルマラソンの経験もありますが、4時間ただただ走り続けられるというのは、身体能力以上にそういったメンタルが大切なのかもしれません。

 

長くなってしまいましたが、あくまで私個人の見解であり何かを否定したいということはありません。

また、有酸素運動にせよ無酸素運動にせよ、科学的根拠も気合と根性もどちらも大切で、そこの兼ね合いというものは長い時間をかけて分かってくるものなんだと思います。

 

他にも、エネルギーや筋肉の修復、それに伴う怪我やオーバートレーニング、アシドーシスの耐性など色々な要素はまだまだありますが、機会があれば違う記事で書きたいと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。それではまた。